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新婚野郎のカムバック禁欲録

新婚のアラサー男が、かつて取り組んでいたオナ禁に『再挑戦』しながら、収入アップに取り組んでいくブログです。

時間がない、わけではないけれど


一定以上疲れが溜まると、うまく時間をマネジメントできなくなるのがわかります。

 

やらなければならないことは、たくさんあります。適切な順番に取りかかれば、余裕を持って片付けられることもわかっています。

ただ、予定を立てられない。

帰ってからは頭が働かないし、朝は慌ただしい。早起きすると、それはそれで睡眠不足となり、仕事に障る。

 

オナ禁効果をもってしても、このギリギリ感。

結婚式前にケンカするカップルが多いと聞きますが、その事情がよくわかりました。

幸い、雪丸家はケンカせずに結婚式の準備を進めることができています。

もし、これでオナ禁できていなかったら……。そう考えると、今の状況は非常に良好と見えます。

オナ禁した結果、問題を回避できた」というのは、意識しづらい「効果」ですが、やはり1つのメリットだと思います。

 


そういえば、疲れを溜めてしまったときの行動パターンを前もって決めてあったのでした。

今日はサウナに寄って帰るとします。

10年前に読んだものが本になっていた

 

高校時代、友達から「逆説の10カ条」というものを紹介されたことがあります。

ウィキペディアにも載っているくらいのものなので、全文掲載してみます。

1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。

2.何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。

3.成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。

4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。

5.正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

6.最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって打ち落とされるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。

7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。

9.人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。

10.世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善をつくしなさい。

 

初めて読んだ時は、魅力を感じながらも「自分ばかりがバカを見るじゃないか」という気になり、深く受け止めず流していました。

しかし、再読してみて、大げさかもしれませんが「ああ、これが生きるということだなぁ」なんて感じました。

 

先日、書店をフラフラしていると、いつか読んだことのある一文が目に入り、思わずこの本を手に取りました。

高校時代の、理想と現実の間でもがき苦しんでいた頃の記憶が蘇りました。今も昔も、相変わらず同じようなことで悩んでいます。

それでも、諦めなかったから進んでくることができた。

 

買う予定のなかった本ではありましたが、これも何かの縁だろうと思い、購入しました。大切な本の一冊になると思います。

 

100日超えてました

 

昨日の投稿で「まもなく禁欲100日」と書きましたが、数え直したら既に到達していたようです。

現在、禁欲105日になります。*1

 

桁が1つ増えたからといって、何かが変わるわけではありません。淡々と粛々と、タスクをこなし続けていきます。

問題は、タスクを増やしすぎて溺れかけているという点ですが、きっと結婚式まではこんな感じでしょうね。

子供が生まれたら、また忙しくなるのかな。

 

引き続きよろしくお願いします。

 

 

*1:1/10の投稿で1日です。

http://cbstoic.hatenablog.com/entry/2017/01/10/072542

途中、カウントがずれていた可能性があります。

最近の執筆事情

 

執筆スタイル

これまでブログを書くにあたり、

  • 最初はスマホでぽちぽちと、
  • 次にポメラでスタイリッシュに、
  • そしてPCでスムーズに、

様々な媒体で文章を書いていましたが、

やはり僕はこれがいい。

  • 「ノートに手書き」

 

自分の考えをまとめるときは、手書きがいいようなのです。理由はわかりませんが、とにかく昔からそう。

高校生の頃に小説を書いていた時期があるのですが(黒歴史)、そのときも、ルーズリーフに一気にガーッと書きあげて、それをPCで打ち直して修正する、という書き方が一番よかった。

 

イデアを形にするのは、ノートに手書きがいい。

そして、打ち直し作業・草稿の作成はポメラがいい。

PCでもいいが、場所を選ばず、余計な情報に惑わないで済むのは、ワード機能に特化したポメラ

編集作業はPCがいい。

スマホは、アイデアの断片を即座にメモするのに向いている。

 

各媒体の良さを活かしながら、今後も文章を書いていきます。

 

 

書きたいこと

幅広く知識を身に付けたいなぁと思っています。

そのために、様々な分野の本を読んでいますが、その結果、書きたいテーマが増えました。

そのすべてをこのブログに書いたとしたら、すさまじく混沌とした場になりそうです。

 

まもなく、禁欲100日に到達しますが、その後、一度ブログの方向性を検討し直そうと考えています。

「禁欲録」については、「禁欲」「意志力」などにテーマを絞り、他のテーマは他のブログを作って書いていく。

もちろん、更新頻度は下がりますが、手早さのために混沌をもたらすよりは、牛歩なれどもむしろ秩序を志向したい。

 

…と考えているのですが、どうだろうなぁ。どれも中途半端に終わることを危惧してもいます。

まだ模索中です。

 

エロを見た瞬間はエネルギーが湧く

 

薄着の女性が増えてきました。

僕のエロ禁は、

「偶然目にしたエロはセーフ、しかし、ジロジロ見るなどエロを貪ったらアウト」

というルールで実施しています。厳しいルールですが、なんとかクリアできています。

 

それで、最近気づいたのですが、

エロを認識した瞬間に、体の内側からエネルギーが湧いてくるような感覚があるのです。

それも、ドロドロした嫌なエネルギーではなくて、清々しく前向きなエネルギーが。

まさに「バイタリティ」と呼ぶべき活力です。

生存本能が喚起されているのでしょうか。

 

また、今のルールでは検証不可能ですが、

エロに囚われたらこのエネルギーは変質してしまうのではないか、という予感があります。

もし今後ルールを変更することがあれば、確かめてみます。

 

それから、エロを目にしたら100%エネルギーが発生する、というわけでもないようです。

今のところ、条件はわかりません。

今後は、エネルギーの発生を感知したら、そのときの状況などを覚えておくようにしてみます。

 

ジャンクフードとの付き合い方

 

「ジャンクフード」は、健康的な食べ物ではない。

栄養はすかすかだし、味付けは大雑把だし、大して安くもない。

 

しかし、なんだかんだ食べる機会はある。

そんなとき、

「なんでこんなもん食ってるんだろう……ちっともヘルシーじゃないのに」

というネガティヴな気持ちで食べていては、かえってジャンクフードの害を大きくするのではないだろうか。

「病は気から」というが、良くも悪くも「気の持ちよう」は体調に影響を与えるからだ。

 

こんな風に考えてみる。

ジャンクフードとはいえ、それが開発されるまでには、多くの人がそれぞれの理想を抱き、アイデアをぶつけ合い、社内で企画を通すため、工夫を重ねてきた。

そして、実際に店先に並ぶまでには、工場で生産され、運搬され、陳列される過程があった。

機械で作られたものなんて、と思うかもしれない。しかし、その機械を作ったのは人間の力だ。

そう考えると、ジャンクフード1つをとっても、その背後にはたくさんの「人間のエネルギー」が込められていることがわかる。

 

確かに、栄養はないかもしれない。

ならば、せめて「関わった人のエネルギー」を摂取する気持ちで、ジャンクフードを食べるのはどうか。

「なんだこんなもの」と思って食べるより、「健全」な食事になると思う。

 

 

追記

これは「ジャンクフードのすすめ」ではない。なるべくなら、口にしないに越したことはない。

ただ、どうせ食べるならポジティヴな気持ちで食べるべきで、その方が結局は健康にもいいと思う、という話だ。

「これをやれば」と「こうなるには」

 

自己改善のための思考には、二つの方向性があると思います。

  • 自分を高めるために、今以上に何ができるか?
  • 目指すものになるには、何をすればいいか?

 

別の表現をすると、

  • あらゆる余力を全てつぎ込み、可能な限り自分を高めようとする
  • ゴールを設定し、そこから逆算して必要なエネルギーを割り出す

 

あるいは、

  • 現在の自分の状況から自己改善をスタートする
  • 将来の自分の状況をイメージして自己改善に取り組む

と表現できるでしょうか。

 

 

上の発想を突き詰めると、

「やれることは何でもやろう!」

になります。すると、いつのまにか自分のキャパシティを遥かに超えたタスクを設定することになり、破綻します。

 

下の発想を突き詰めても、

「理想の自分になろう!」

と考えます。これも、到底達成不可能な目標を掲げることになり、破綻します。

 

 

しかし、どちらの方が破綻可能性が低いかと言えば、下の発想でしょう。「なりたい自分になるには?」と考える方向です。

なぜなら、「ゴールの設定」を適切にすればいいからです。

高すぎるゴールを設定した結果、達成不可能なタスクが生まれてしまうことが問題なのですから、控えめで達成可能な目標を積み重ねて行けば、着実に前進していくことができます。

 

これに対し、「今の自分を極力高めるには」という発想は、どこまで行っても満足感を得ることがありません。「まだできる、もっとできる」という思考は、どこまでも続きます。

「自分を高めたい」という際限のない欲望にとらわれやすく、無理を重ね、その結果、破綻する可能性が高いように思うのです。

 

 

何だかまとまりがないですが、思考のメモとして書き綴ってみました。