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新婚野郎のカムバック禁欲録

新婚のアラサー男が、かつて取り組んでいたオナ禁に『再挑戦』しながら、収入アップに取り組んでいくブログです。

最近の語学への取り組み(NHK語学テレビのまとめ)

 

語学の話です。

 

 

以前の失敗:一度に色々やりすぎた

語学を大量に始めようとして、どれも挫折したことがありました。

やろうとした語学リスト

NHKの語学講座が始まるのがどれも4月からなので、一斉に始めてしまったのです。

このやり方は間違いでした。

 

現在の取り組み

BGMとして無理なく日常に組み込む

NHKの「おとなの基礎英語」や「テレビでフランス語」のような番組を録画して、食事や団欒の時間にBGMとして流しています。

日常の中で、自然と語学に触れていこうとする試みです。

 

録画している番組リスト

おとなの基礎英語

月曜から木曜に放送、1回10分。2人の女性が主人公のストーリーを楽しみながら、英語の発音や表現を学べる番組。

アメリカ編とイギリス編が交代で進んでいくので、アメリカ英語・イギリス英語どちらの発音にも慣れることができる。それ以外にも、主人公の日本人は日本人らしい発音をするし、ブラジル人の登場人物はそれらしく。「一様でない、地域ごとの様々な英語の発音」を手軽に体験できる。他にも「スコットランド訛り(かな?)」の英語など、方言的な発音をする人物もさらっと登場したりするので、勉強になる。司会のサラ・オレインさんが超絶可愛い。

 

旅するフランス語

火曜深夜に放送、1回25分。パリを仮想的に旅しながら、フランス語の表現を学べる番組。

「パリで美味しい鴨のコンフィを探す」特集など、パリ・フランス文化についても学べる。

僕は大学の第二外国語でフランス語を選択し、その後勉強していないので結構忘れているが、それでも番組の大部分は理解できる。「わかる:わからない」のバランスが絶妙なので、見ていて一番楽しい。大学一年目のフランス語を終えた人が見たら、結構楽しめると思う。

BGMが落ち着いており、映像の切り替わりもゆったりしているので、食事の時に流してもいい感じにハマる。案内役の常盤貴子さんが美しいしお洒落。

 

テレビで中国語

火曜夜に放送、1回25分。中国語の発音・表現・文法などを総合的に学べる番組。

内容はオーソドックスな語学講座、という印象。もちろん良い意味で。中国茶特集など、文化面もフォローしている。また、アプリと連携して発音練習ができるのもポイント高い。講師役の三宅登之さんのギャグは、僕は結構好き(たまに滑る)。司会の森迫永依ちゃんが可愛い(妹的な可愛さ)。

 

テレビでハングル講座

水曜夜に放送、1回25分。こちらも中国語と同じく、ハングルの発音・表現・文法などを総合的に学べるオーソドックスな語学講座番組。

ハングル講座らしく、韓流スターが出演して内容を紹介する。彼らが演じる小芝居が結構面白い。文化面へのアプローチは少ない印象。個人的には、韓国料理について特集してくれると嬉しい。司会の桜井玲香(乃木坂46)さんが可愛い。

 

テレビでロシア語

水曜深夜に放送、1回25分。ロシアの文化の紹介がメインで、その過程で単語や文法について少しずつ話を進めていく番組。

司会が小林麻耶さんだったことに驚いた。こういう番組にも出るんだなぁ。出てくるロシア人女性全員綺麗。これはやばい。毎週ロシア美女を眺めることができ、非常に充実した時間を過ごせている。スパシーバ、スパシーバ(ありがとう)。

 

テレビでアラビア語

水曜深夜に放送、1回25分。フォトジャーナリストの渡部陽一さんが、アラブ圏から日本へ帰国するために、アラビア語を学びながら冒険する、というストーリー仕立て。再放送を延々と繰り返している番組で、他の語学講座に比べると演出も色々雑なのだが、それがかえって面白かったりする。

アラビア文字は、ほとんどの日本人にとって完全に「未知の形状」をしているため、この文字の壁を突破できないことには真面目に見ていても面白くないような気がする。アラビア語の知識がゼロの状態なら、この番組で勉強しようとはせずに、さしあたりBGMとしての活用を勧める。日本のテレビで日常的にアラビア語の発音やアラブ音楽を聴く機会は、この番組くらいしかないのではないか。師岡カリーマ・エルサムニーさんが美人すぎてやばい、上品にゆったり垂れた目元が最高に魅力的。

 

まとめ

綺麗なお姉さんは、好きですか(僕は好きです)。

 

何の話なのかね、しかし。

 

そういえばITパスポート受けました

 

ITパスポートという試験を受けました。

先週の話です。

 

 

ITパスポート受験のまとめ

この試験は、国家資格の情報技術試験の「入門編」です。

 

基本的な事項

難易度

決して難しくはないですが、特別な勉強をせず、普段PCを使っている知識だけで受かるかというと、微妙なライン。そんなレベルの試験です。 

ただし、無勉強でも受かる可能性が高い人がいます。

それは、経営学部出身の人です。理由は次項の通り。

 

試験の内容

問題は3つのカテゴリに大別され、

  • テクノロジ系:45%
  • ストラテジ系:35%
  • マネジメント系:20%

このような比率で出題がなされます。半分以上が、「ストラテジ及びマネジメント系」の問題です。

「マネジメント系」については、「システム開発のプロセス」など情報技術ならではの知識を問われたりもしますが、

「ストラテジ系」からの出題は「経営戦略の決め方」など、もろに「経営学」の知識で解ける問題です。

経営学部出身の人が有利な理由は、ここにあります。

 

僕の場合、「テクノロジ系」は割と知っている内容が多かったので、結局、「経営学」の勉強がメインになってしまいました。

実務で活かせるようなPCやネットワークの知識を得るために受験したつもりだったのに、その本意を遂げることができたかというと……うーん、どうだろう。

 

受験者層

受験日、会場を訪れると、他の受験者は老若男女幅広く。

老夫婦が2人で受けに来ていたのが印象的でした。幾つになっても新しいことを学ぼうとする姿勢は素敵ですし、尊敬します。

以前、電車の中でNHKの「まいにちドイツ語」のテキストを読んでいた老婦人がいらっしゃった。あんな風に歳を取りたいものです。

 

話が横にそれました。

 

受験形式と点数

この試験、会場に設置されたパソコンを使って受験します。

そして、なんとその場で点数がわかります。

ただ、合否は教えてもらえないようで。

一応、1000点満点で600点が公式の「合格点の目安」だそうです。

この目安を信用するなら、受かっていることになります。

 

個人的な感想など

厳重な管理体制

特に印象に残ったこととしては、カンニング対策が厳重。

ティッシュを持ち込むにも、厚紙を取り出さないといけない。

部屋にはいくつも監視カメラが設置されていて、落ち着きませんでした。

まあ、さすがは「国家資格の情報技術試験」といったところでしょうか。

 

仕事に活かせるか

あまり期待しない方がいいと思います。

表計算ソフトのごくごく基本的なことを学べたりはしますが、それならいっそ「よくわかるExcel」みたいな本を買った方が良さそうです。

ただ、雇用労働者であれば、雇い主に対して「私は情報技術を自発的に勉強しています!」とアピールする効果くらいはあるのかな、と思います。

 

余談:友人の動向

以前の職場で知り合った友人と、今でも時々連絡を取り合います。

彼は、僕が「ITパスポート」を受験した日に、上位版である「基本情報技術者試験」を受けており、合格したそうです。

「負けてられないなぁ」と思うと同時に、離れても切磋琢磨できる相手がいることのありがたさも感じました。

 

「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや」と言いますが、遠方にいても連絡を取り合うことを可能にしてくれる「情報技術」にも感謝しなければいけませんね。

 

今後の方針

次は友人を追って「基本情報」を受けるか、

もしくは、より実務に活かせそうなのは「情報セキュリティマネジメント試験」なので、こちらを受けることも検討しています。

 

別系統の試験については、来月「統計検定3級」を受けるつもりです。

  

家路、電車の中にて

 

目の前のガラス窓に「ガリガリ君リッチ・レアチーズ味」の広告が張ってある。

これはなかなか美味かった。

ガリガリ君リッチシリーズ」は結構好きで、どんな味が出てくるか毎回楽しみにしている。

 

しかし、この楽しみも卒業だろう。

 

食の禁欲に取り組むにあたり、「手軽な美味いもの」を遠ざけていくことが必要だ、と感じている。

その代表格が、アイスだ。

「手軽な美味いもの」を捨てるなど、これまでの生活からすれば、考えられないことだ。疲れたとき、美味いものを無心に頬張るのは、心を癒す至福のひと時だった。

しかし、これを断たねば。

 

思えば、オナ猿だった頃は「エロ動画を捨てるなんてありえない!」と信じていた。

しかし、実際にはもう1年くらいエロ動画の類を見ていない(まだ1年か)。

たまに目に入ることがあっても、「自分には関係のないもの」として、簡単に遠ざけることができるようになった。

同じように、「手軽な美味いもの」を遠ざけることもできるはずだ。時間はかかるかもしれないが、今の自分が一番若い。始めるのは今日からだ。

 

 

エロ禁との違いについて考える。

エロ動画を見るかどうかは「純粋に自分自身の個人的な問題」であったのに対し、

「手軽な美味いもの」を食べるかどうかは、身近な人との関係にもある程度影響を受ける。

たとえば、お土産として頂いたお菓子を食べないのは失礼だろう。

だから、「完全に食べない」というのは難しいし、目指さない方がいい。

自分一人の時は食べない。このラインを守る。

「完全に断つ」よりも「たまに食べる」方が難しい。味を覚えてしまうから。

しかし、難しいからこそやりがいもあるだろう。

 

昔読んだ「陽明学」の本に、

山にこもるなどして俗世から離れて取り組む修行より、

厳しい俗世の中で自分を鍛えていくほうが、修行としては望ましいと書かれていた(と記憶している)。

付き合いの過程で食べざるをえない「手軽な美味いもの」や、あちこちで目にする「手軽な美味いもの」の広告、

これらは俗世において自分を鍛えてくれる「意志力の筋トレマシン」だと見なそう。

 

新約聖書』の記述によると、イエスは、人々に教えを広める前、「悪魔に誘惑される」という試練を受けた。

聖書のこの記述は、「人物を完成させるには、誘惑に勝つことが必要である」という人類の経験知と読むこともできそうだ。

悪魔の試練に比べれば、人間が作った誘惑など何でもない。

 

意志力に関する哲学的思索の試行

 

「脳は物質に支配されている」

これは客観的には事実でしょう。

同時に、主観的な領域では「自分のコントロールは自分の意志で行なっている」と認識しておくべきです。

論理的には明らかに破綻しています。

本来は主観であるはずの自分の「認識」の中において、さらに「客観」と「主観」という2つのカテゴリを区別しようとするところに、無理があるのかもしれません。

しかし、僕はこの区別を自分の内側で実現できている、という感覚があります。

 

なるほど、確かに客観的に見れば、僕の心や行動は他者に支配されている。だから、この支配を打破するための具体的な対策も必要だ。

同時に、僕は、僕自身の心や行動を、自分の意志によって制御している、とも認識している。

むしろ、こちらの認識の方が、認識全体の比率で言えばより大きな位置を占めている。

 

矛盾するはずの2つの命題が、「重なり合って、同時に」自分の中に存在しています。

ちょうど、量子論が物質を「粒子でもあり、波でもある」と定義しているように。

 

この矛盾を、どう取り扱うか。

 

武術を学んでいた時、「矛盾を、矛盾なく取り扱う」という言葉に出会ったことがあります。

その感覚が、やっとわかった感じがします。

非合理性の中から生まれてくる力というものを、今、感じています。

 

論理的な整合性を取り、主観的にも「自分は物質に支配されている」と思っている時より、

ちぐはぐになっても「自分は自分をコントロールできる」と思っている時の方が、力が湧いてきます。

「認識」は肉体に直接影響を与えるからです。

 

究極的には、「論理的な整合性」と「現実的な力」のどちらを取るか、という選択です。

僕は、自分の論理的な破綻を自覚しつつ、不合理であっても現実的な力を得る道を選びます。

僕が生きているのは「論理的な抽象世界」ではなく、「現実的なこの世界」だからです。

 

ただし、「破綻している」という自覚は、心の隅に常に置いておく。目立つところに置くと、結局は論理的な整合性を重視していることになりますから、隅っこでいい。それでも、自覚は確実に保持します。

この自覚を失えば、科学無視の無知蒙昧に逆戻りすることになりますから。

 

「禁欲は明日からやろう。今日は欲に負けてしまおう」と思ったら

 

「ここがロードスだ、ここで跳べ!」

 

この言葉の由来をwikiから引用しますと、

イソップ寓話の「ほら吹き男」の話をもとにした成句。あるほら吹きの競技選手が遠征先のロドス島から帰り、「ロドスでは大跳躍をした、みながロドスに行ったらロドスの人が証言してくれるだろう」と吹聴するが、これを聞いた男が「それが本当なら証人はいらない、ここがロドスだと思って跳んでみろ」と言い返したというものである。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ロドス島

 

いくら「禁欲にはこんなメリットがある!」と唱えても、何も始まらない。

本当にメリットがあることなら、今この時から始めればいい。

 

由来のエピソードとは少し状況が違うかな、と思いますが、この言葉の勢いが好きなので、たまに口ずさんでいます。

自分を鼓舞してくれる言葉の1つです。

 

「明日からやろう…」という弱い心が去来したら、この合言葉を唱えよう。

 

ここがロードスだ、ここで跳べ!

 

日本人の伝統に基づく「節食」を考えるための基本書

  

1.水野南北『南北相法修身録』→食を慎むことは、陰徳を積むこと。

2.貝原益軒『養生訓』→江戸時代の養生法まとめ本。

3.幕内秀夫『粗食のすすめ』→現代人が日本の伝統的な食事で健康を維持するには?

4.斎藤兆史『努力論』

 

精神一到何事か成らざらん」という言葉があります。

「悪しき精神主義」の象徴のような言葉で、大真面目に受け取る人は、特に若い世代にはほとんどいないように思えます。

しかし僕は、この言葉を人生の根本に据えたい。これこそ、かつての日本人が持っており、今の日本人が持たない、強さの源だと思うからです。

 

我が国の歴史において、「肉体的な限界は超えているはずなのに、ただ精神の力のみで動いている」という事例は、時代を問わず様々な場面で散見されます。

  • 太平洋戦争時、内臓を撃ち抜かれ既に死んでいるはずの状態であったにも関わらず指揮をし続け、役目を果たすと同時に逝った将校。
  • 仏典を求めて単身ヒマラヤを越えようとし、雪の中で眠り、疲労と寒さで体が動かない状態で川に流されてもなお前に進み続け、ついにチベットに入った僧侶。
  • 那須与一。源平の戦いにおいて、届くはずのない距離から矢を放ち、扇を撃ち落とした。

他国にも、似たような事例があるのかどうかはわかりません。

しかし、少なくとも我が国には、「並外れた精神力・意志力の強さで、肉体的な限界を突破した人物」が存在する。それも、一人や二人の話ではない。大勢いる。

彼らのDNAの流れを受けている僕たちにも、同じことができるはずです。

それに比べれば、たかが食を慎むことの、何が困難か。

 

(以下、筆に熱がこもって支離滅裂ですが、一応掲載しておきます)

 

「体に必要な栄養素は、これとこれとこれだ。それらを効率よく摂取するためには、これを食べて、これを飲むといいよ。さあ買いたまえ」

こんな声にはうんざりです。

栄養が人を生かしているのではない。まるで逆だ。人が、栄養を活かしているのだ。

だから、ものを食べる際には、

「食べ物様、栄養様、どうか私めの健康を整えてください〜」などと食べ物にひれ伏してはいけない。感謝は必要だ。しかし、感謝と平伏は違う。

「俺様は、お前の栄養を使って、俺様自身の内側に、俺様自身のための力を生み出す」こういう気持ちで食べる。主体は常に自分の側に保持しておくことが大切だ。

 

「人は食べるもので決まる!」などという言説に惑わされるな。人は、ゼロから自分の意志を産むことができる。

自己の外からやってくるものに、自己を明け渡してはいけない。外から来るものを、味方として従えることはあっても、それに指揮権を与えてはならない。

読書をするにしても、本の思想や情報を鵜呑みにして、自らの思想を捨ててはいけない。

同じことが食事についても言える。栄養が自分を作っているのではない。そのように捉えると、結局、自分の内側から力が失われる。外形は同じであっても、捉え方の違いが効果の違いとなって現れる。

そうではなくて、他ならぬ「この自分自身」が栄養を活用し、自分自身の意志で「自分」を作り上げているのだと、こう捉えていく。

栄養に従うのではなく、栄養を従えろ。

自己の真の支配者は、ただ一人、自分自身の心のみ。

栄養自体が力なのではなく、栄養は、人が自らの意志で内的な力を産むための「媒体」に過ぎない。

 

 

「心」を機械論的に捉える現代の風潮には、重大な問題がある。

心を知的に分解した時点で、心の強さは失われる、ということだ。

心の仕組みなど知らなくていい。そんなものを知らなくても、強い心を発揮することはできる。むしろ、仕組みなんか知らない方が強くあることができる。

仕組みを知って、心の強さを「再現」することはできる。しかしそれは、特定の状況に依拠した「限定的な強さ」であって、真の強さとは言えない。

真の強者は、環境や条件に依存せず、いかなる時も強い。

一流のバイオリニストは、スクラップ同然のようなバイオリンを弾いてもなお、人の心を動かす演奏ができる。

本当の心の強さは、「心を強くする習慣」と真逆の状況に置かれてもなお、人をして強者たらしめる。

 

とにかく、心について頭で考えることが流行しているが、その実、このようなアプローチは害にしかならない。

道具を分解して構造を理解したら、その道具は、もはや道具として用いることができないだろう。同じことが、心にも言える。

「心」を「頭」で分解して理解すると、その時点で、自然な心の強さが失われる。再現されたクレバーな強さは本物ではなく、脆い。

心は強い。本物の心の強さを使うためには、そう信じるだけでいい。

 

 

新たな禁欲へ

 

昨日の飲み会でこんな発言を耳にしました。

「結婚したら家でオナニーできないじゃん!」

この発言を聞いた時、「何言ってんだ??」という反応が心に浮かびました。

冷静に考えれば、大部分の男にとってこれは苦行でしょう。しかし僕自身は、家でオナニーできないことで何が困るのか、一瞬、本当に理解できなかった。

(自分は今、自慰行為から解放されている…)

そのことを自覚できた出来事でした。

 

オナ禁は、ある程度自分のものにできた……のかもしれません。

初めてオナ禁に取り組んたのは、大学生の頃。ブランク期間も含みますが、7年くらいはオナ禁に取り組んできた計算になります。

大学生当時は、わずか1週間を達成するのにもめちゃくちゃ苦労したものです。しかし、「再チャレンジ」の今回、特に苦もなく継続できています。

長い時間をかけて、ようやく身についてきたのでしょう。

オナニーを覚えたのは中学生の頃だったか。そう考えると、疑問なく自慰をしてきた期間(13〜19歳)を禁欲期間(20〜27歳)が上回るあたりから、オナ禁を習慣化できてきたことになります。

偶然の一致かもしれませんが、何かの参考にはなるかもしれません。

 

 

オナ禁は、すでに自分の一部になっている。

そのことを自覚するとともに、次に取り組むべき「禁欲」がはっきりと見えました。

食欲。

取り組まなければ、と思いつつ後回しにしてきた、コントロールすべき欲望です。

他にも「本を買いたい」など様々な欲望がありますが、「食欲」ほど生活全体に影響を与えるものはありません。

優先順位は一番高い。

 

食欲の克服に取り組むにあたり、まずはいろいろ考えてみる必要がありそうです。つまり、何を「成功・失敗」とするか、カウントの方法、「リセット」の定義など。

また、一足跳びにいきなり「理想の禁欲」を達成することは難しい、というのも、オナ禁の経験を通じて理解しています。

僕の場合、

  • 「自慰をしてもいいから、とにかくエロ動画を見ない」という「徹底的なAV禁」
  • 「インスタントな自慰をしない。するなら、没頭するほど集中してその時間を楽しむ」という「マインドフル・オナニー(?)の習得」

という段階を経て、ようやくオナ禁をある程度身に付けていくことができました。

ですから、食欲のコントロールについても、段階を踏むことが重要だと考えています。これには試行錯誤も必要なので、計画は計画でしかありませんが。

 

ともあれ、新しいプロジェクトに取り組むことを決めました。

第2章として、今後もお読みくだされば嬉しいです。