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新婚野郎のカムバック禁欲録

新婚のアラサー男が、かつて取り組んでいたオナ禁に『再挑戦』しながら、収入アップに取り組んでいくブログです。

僕たちが食べているのは栄養という「記号」ではない、生き物が生き物を食らっているのだ

(約1,000字)

 

よく訪れるラーメン屋。食欲をそそるとんこつの香りを嗅いだとき、ふと、こんな考えが頭に浮かびました。

「縁あって、僕がお前を食べることになった。以後、僕の肉体を作ってもらうことになるから、よろしく頼む」

ここ最近、『養生訓』を読んでいたから、こんなことを思ったのでしょうか。

そのラーメンの味は、別にいつもと変わるわけではなかったけれど、だからこそ、味わうのは久しぶりでした。美味しかった。

 

レストランへ行き、好きなメニューを注文して5分もすれば、望みの品が出てくる。今や一般的な「食事」の光景です。

消費者の意識も高まりました。「体にいいものを食べよう」「そうすれば健康になれる」「なぜなら、こんな栄養が含まれているからだ」。

しかし、食事の裏では、必ず、生き物が命を捧げています。いわゆる「健康に悪い料理」も、それが作られるまでに、多くの生き物の命が摘み取られています。僕は普段、そのことを忘れがちです。

たとえばラーメン。麺を作っている小麦はどこで育ったのでしょう? 具として乗っているほうれん草はどこで採ったのか? キャベツは、もやしは、にんじんは? 豚はどこで誰に殺された?

 

ライフハックという「思想」について。

シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』の著者は、自分の体を「ハックした」と表現しています。そうして、肉体にとっての「最適な栄養ポートフォリオ」を組み、効率良く必須栄養素を摂取していきます。エンジニアらしい合理的な発想です。

しかし、「ハッキング」という発想で食事にアプローチすることは、生命を機械のように捉えることに繋がるのではないか。

適切な値を代入すれば、葦ならぬ「考える機械」は、高いパフォーマンスを発揮してくれます。そこでは、食べ物とは1つ1つ個性を持った命ではなく、「栄養」という抽象的で代替可能な「記号」や「数値」と見なされます。

そのような態度は、何か、根源的なものを失っている気がしてなりません。こんな考えは迷妄的でしょうか?

 

生き物が生き物を食らう、それが食事。

僕は、生き物として生き物を食べ、最後の最後まで、食事だけは人間らしくありたい。

 

〜禁欲メモ〜

日数:15日・15日

前日の食事

8時:卵かけご飯、海苔、きゅうりの浅漬け@自宅
11時:コーヒー@カフェ
14時:かけそば@そば屋
同:トマトジュース、あたりめ、マクロビ派ビスケット@オフィス
17時:とんこつラーメン@ラーメン屋
18時:緑茶@オフィス
21時:養命酒@自宅
22時:きゅうりの浅漬け、ミニトマト、ヨーグルト@自宅
所感:きゅうりうめえ