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新婚野郎のカムバック禁欲録

新婚のアラサー男が、かつて取り組んでいたオナ禁に『再挑戦』しながら、収入アップに取り組んでいくブログです。

古代ローマの禁欲主義・セネカ

(約2,500字)

 

ふたたび古代ローマの話です。

以前の記事はこちら

アウグストゥス・スタイルのすすめ(日数11・11) - 新婚野郎のカムバック禁欲録

 

暴君に仕えた禁欲主義哲学者

紀元前27年、オクタウィアヌス、のちにアウグストゥスと呼ばれた男が、最初の皇帝として「ローマ帝国」を完成させました。その版図はヨーロッパのみならず、アジアやアフリカの一部にまで広がりました。

それから約80年経った頃、ネロという暴君(とされている皇帝)が登場しました。有名な皇帝なので、ご存知の方は多いかと思います。

そのネロにブレーンとして仕えた哲学者が、セネカでした。

彼の哲学は、「ストア派」と呼ばれる学派に属していました。

ストア派哲学の特徴は「禁欲主義」。「ストイック」の語源になった言葉でもあります。

ただ、一口に「禁欲主義哲学」とは言っても、実際にどのような内容だったのか、詳しいところを僕は知りません。

そこで、まずはセネカの著書『生の短さについて』の購読を通じて、その哲学に触れていこうと思います。

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

 

 

第1章「生を短いと感じるのは、浪費しているからだ」

『生の短さについて』という作品は、セネカが書いた手紙です。彼は、手紙の冒頭でこう言います。

われわれにはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。(前掲書、12ページ)

オナ禁を始め、禁欲的な習慣を持つ人からすると、この部分は素直に納得できるものでしょう。

 

第2章「悪人も善人も、あらゆる人が自分のために時間を使えていない」

次にセネカは、「生を浪費する人」の例をいくつも挙げていきます。その上で、ある詩人の言葉を引用して、このように切り捨てます。

そのさまを見聞きするにつけても、詩人中の最大の詩人の書に見える信託風の箴言が疑いもなく真であると、私は思わざるをえない。曰く、「生のごくわずかな部分にすぎぬ、われらが生きているのは」と。いかにも、その他の期間は、生ではなく、ただの時間にすぎない。(同前、13ページ)

では、オナ禁など禁欲をして生まれた時間を使って、とにかく勉強したり、自己成長を図ればいいのでしょうか?

どうやら、そう単純ではないようです。

私が言っているのは悪行で名うての者たちのことにすぎないと君は思うのか。その福徳が多くの人々を招き寄せている人たちを見たまえ。彼らもまたみずからの善きもので窒息しているではないか。富が重荷となっている者の何と多いことであろう。その雄弁で、また、才知を顕示しようとするその日々の営みで血を吐く思いをしている者の何と多いことか。(中略)誰もが他人の誰かのためにみずからを費消しているのである。(同前、14ページ)

時間の浪費をやめて、スキルアップのための勉強をし、収入を増やしたとします。しかし、その結果、自分のために使える時間がなくなってしまったなら、それも「生」だとは言えない。

たとえ「良い行い」であっても、それに追い立てられているのでは、やはり人生の時間を浪費している。セネカはそのように言っているようです。

 

第3章「時間を浪費するのは、死ぬことを忘れているからだ」

 セネカは「老人に言ってやりたい」と前置きした上で、たくさんの質問を突きつけてきます。

記憶をたどり、思い出してみられるとよい、(中略)あなたが何を失っているか気づかない間に、どれほど多くの人間があなたの生を奪い取っていったか、あなたの生のどれほど多くの時間を詮ない悲しみや愚かな喜び、貪欲な欲望や人との媚びへつらいの交わりが奪い去ったか、あなたがその生の中からどれほどわずかな時間しか自分のために残しておかなかったか。(同前、17ページ)

そして、話は「なぜ自分のために時間を使えないのか?」に移ります。

では、その(生の浪費の)原因はどこにあるのであろう。誰もが永遠に生き続けると思って生き、己のはかなさが脳裏をよぎることもなく、すでにどれほど多くの時間が過ぎ去ってしまったか、気にもとめないからである。(同前、17ページ)

人々は、自分が永遠に生きると思い、いつか死ぬということを忘れている。だから時間を浪費してしまうのだ、とセネカは言います。

この部分を読んで、同じ古代ローマ期のメメント・モリという言葉を連想しました。

「死を思え」という意味の言葉です。キリスト教的に解釈するなら「来世で救われるために、神の掟を守れ」ということでしょうか。

ただし、古代ローマ帝国期の大部分は、まだキリスト教は一般的ではありませんでした。

キリスト教以前の古代ローマ人は、この言葉を「いつか死ぬんだから、生きている今を楽しもうぜ!」というニュアンスで使っていた、というのが定説だったと思います。

ただ、セネカの書き方は「今を楽しもう!」とは少し違っているように感じます。この先を読めば、彼の真意がわかるでしょうか。

 

ここで一度区切ります。

『生の短さについて』は全20章ですから、1回につき3章から4章分ずつ読んでいくとして、あと5回から6回分の投稿になりそうです。

 

続きはこちら

セネカの続き - 新婚野郎のカムバック禁欲録

 

〜禁欲メモ〜

日数:16日・16日

前日の食事

4時:コーヒー@自宅
10時:卵トースト@自宅
12時:干し芋爽健美茶@オフィス
16時:コーヒー@カフェ
19時:かけそば、鳥唐揚げ丼@そば屋
20時:ミネストローネ@スープ屋
所感:立ち食いそば屋にも質の差があるなぁと感じる。