新婚野郎のカムバック禁欲録

新婚のアラサー男が、かつて取り組んでいたオナ禁に『再挑戦』しながら、収入アップに取り組んでいくブログです。

セネカの結論

(約3,000字)

 

今回で『生の短さについて』の残り7章分を一気に読んでいきます。

前回までの記事はこちら

初回:古代ローマの禁欲主義・セネカ - 新婚野郎のカムバック禁欲録

第2回:セネカの続き - 新婚野郎のカムバック禁欲録

第3回:セネカを読む③/自己啓発について思うこと - 新婚野郎のカムバック禁欲録

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

 

 

前回残った疑問

ここまでの読解で、僕は以下のような解釈を出していました。

 

セネカは、

「迷妄を正し、過誤を減らし、そして、人格形成のために時間を使うこと」

こそが「本当の閑暇の使い方」すなわち、

「本当に生きているということ」

だと考えているのだろう、という解釈です。

 

では、

「そのような時間の使い方とは、具体的に、何を指しているのか?」

 

この問いに対する答えが、『生の短さについて』の「結論」であり、読者がもっとも真剣に聞くべき一節なのだろうと思います。

その答えは、第14章の冒頭に書かれていました。

 

第14〜15章「哲学のために時間を使う人だけが、本当の意味で生きている」

一文目から結論が書かれます。

すべての人間の中で唯一、英知(哲学)のために時間を使う人だけが閑暇の人であり、(真に)生きている人なのである。(前掲書、48ページ)

答えは「哲学」だそうです。

まあ、セネカ自身が哲学者ですから、この答えは予想できたといえばできましたね。

 

「哲学」というと、なんだかとっつきにくそうなイメージがありますが、

この後の部分を読んでいくと、セネカの言う「英知(哲学)」は「古典を読むこと」と読み替えてもいいのかなぁ、という気がしました。

ただし、それは「仕事に活かすために古典を読む!」というビジネス書的なアプローチではなく、

あくまで「より良く生きるために古典を紐解く」というアプローチになるかと思います。

 

なぜ「哲学」なのか?

セネカが哲学を評価するのには、いくつか根拠があります。

  1. 過去の哲学は、当時の人たちが非常に苦労して作り上げた価値のあるものだから
  2. 自分の好きなテーマについて、時代を問わず自分の好きな人から学べるから
  3. 余計な付き合いに振り回されなくていいから

3番目はなかなか魅力的ですね。セネカはこんな風に書いています。

彼らの誰と会話を交わしても身に危険が及ぶことはなく、誰と友情を結んでも生命を脅かされることはなく、誰を敬重しても金がかかることはない。彼らのもとからは、望みのものをすべて携えて辞去することができる。(同前、51ページ)

他にも、「今生きている人間を相手にするのと違って、待たされなくていいし、適当にあしらわれることもないし」などと述べています。よほど人付き合いにうんざりしてたんでしょうか、セネカ氏。

今も昔も、苦労の種は人間関係。そう思うと、2,000年前の人に対しても親近感が湧いてきます。

 

「哲学」を学んで何を得られる?

哲学を学ぶ最大の恩恵は、頼もしいアドバイザーを得られること。

僕もまさに今、セネカのアドバイスに耳を傾けているところであります。

さて、アドバイザーとして迎えた哲学者たちがしてくれることは、

  1. なんでも相談に乗ってくれる
  2. 真実の話を教えてくれる
  3. 生きる上でのモデルになってくれる
  4. しかも無償

とにかく何にでも値段がつく時代です。

時々目にする売り文句で、

「人間は、無料で手に入れたものは大切にしない。高いお金を出してこそ意欲が起きる(だから買ってね!)」

というのがありますが、どこまで本当なのでしょう?

高い金を出してダイエット器具を買い、すぐに放置する人のことを、どうやって説明するのか。*1

 

その点、古典を読むのに大してお金はかかりません。せいぜい書籍代くらい。

わからない専門用語があれば、ネットで検索すれば、大抵のことは解説されています。

もちろん、ギリシア語ラテン語の原書で読もうとすると、語学の習得のために膨大な出費が必要になります。

しかし、日本人ならまずは翻訳でいいと思うのです。

これ、めちゃくちゃ強調したいことなのですが、

日本人は、母語一つで、古今東西あらゆる古典を読むことができます。

普段はあまり意識されないですが、日本語のすごい点です。

これが他の国なら、最低でも英語をマスターしていないと、哲学どころではありませんからね。

 

 

残りの部分は、これまでの議論の繰り返しと補足なので、抜粋しながらざっとまとめてしますね。

 

第16〜17章「過去を忘れる者の生涯は短く、不安に満ちる」

 こうした者たちの快楽は、それ自体が怯えに満ち、さまざまな恐れで落ち着かぬものである。そのために、歓喜が絶頂を迎えた刹那、ふと憂いの思いが彼らの脳裏をよぎる、「これがいつまで続くのか」と。(同前、55ページ)

 

第18〜20章「時間を自分のため、大切なもののために使え」

いいかね、これは本当だ、公の穀物供給の収支を知るよりも、自分の生の収支を知るほうが大切なことなのである。(同前、59ページ)

 

何かに忙殺される者たちの置かれた状況は皆、惨めなものである、とりわけ惨めなのは、自分のものでは決してない、他人の営々とした役務のためにあくせくさせられる者、他人の眠りに合わせて眠り、他人の歩みに合わせて歩きまわり、愛憎という何よりも自由なはずの情動でさえ他人のいいなりにする者である。(同前、62ページ)

 

読み終えたまとめ

終盤、駆け足になってしまいました。

とにかく終わらせないと、そのまま放置してしまいそうだったからです。

僕の悪い癖なのですが、終わりが見えると急にやる気をなくしてしまうのです。

ですから、勢いのあるうちに、形だけでも最後まで進めました。

「完了させられない」という癖ーーこれも、いずれ取り組むべき課題でしょうね。

 

結局、僕はこの『生の短さについて』を読み終えて何を学んだのでしょうか。

当初の狙いだった「禁欲主義哲学」については、正直あまりよくわかりませんでした。読みが浅かったのか、そもそもこの作品だけでは理解できないのか。

もっと体系的なことが知りたい、と思いました。

それから、読解の第2回で明らかになった、「性欲に変わって自分の心の中を占めていた欲望」の正体については?

こちらは折に触れて考えています。ある程度の形にまとまったら、記事にしてみようと考えています。

まだまだ取り組むべき課題は多いようです。

 

『生の短さについて』の購読は、ひとまずこれで区切りをつけ、あとはのんびりと考えていくことにします。

お付き合いくださりありがとうございました!

 

その後の変化

セネカ『生の短さについて』を読んだ後の変化 - 新婚野郎のカムバック禁欲録

 

〜禁欲メモ〜

日数:23日・5日

前日の食事
7時:スムージー(りんご、バナナ、人参、牛乳)、ゆで卵@自宅
11時:鯖の巻き寿司、大学イモ@オフィス
19時:豆ごはん雑炊、小松菜のおひたし、明太子、ルイボスティー@自宅
所感:なかなかいい感じ。

筋トレ

レッグエクステンション:左右各10回
アームリフト:10回
ニートゥエルボー:左右各10回
所感:朝、試験的に実施。

*1:この売り文句は、「使用価値」と「交換価値」を混同する心理を利用したトリックなのかなぁ、と思っています。いずれしっかりと書いてみたいテーマではあります。