新婚野郎のカムバック禁欲録

新婚のアラサー男が、かつて取り組んでいたオナ禁に『再挑戦』しながら、収入アップに取り組んでいくブログです。

家路、電車の中にて

 

目の前のガラス窓に「ガリガリ君リッチ・レアチーズ味」の広告が張ってある。

これはなかなか美味かった。

ガリガリ君リッチシリーズ」は結構好きで、どんな味が出てくるか毎回楽しみにしている。

 

しかし、この楽しみも卒業だろう。

 

食の禁欲に取り組むにあたり、「手軽な美味いもの」を遠ざけていくことが必要だ、と感じている。

その代表格が、アイスだ。

「手軽な美味いもの」を捨てるなど、これまでの生活からすれば、考えられないことだ。疲れたとき、美味いものを無心に頬張るのは、心を癒す至福のひと時だった。

しかし、これを断たねば。

 

思えば、オナ猿だった頃は「エロ動画を捨てるなんてありえない!」と信じていた。

しかし、実際にはもう1年くらいエロ動画の類を見ていない(まだ1年か)。

たまに目に入ることがあっても、「自分には関係のないもの」として、簡単に遠ざけることができるようになった。

同じように、「手軽な美味いもの」を遠ざけることもできるはずだ。時間はかかるかもしれないが、今の自分が一番若い。始めるのは今日からだ。

 

 

エロ禁との違いについて考える。

エロ動画を見るかどうかは「純粋に自分自身の個人的な問題」であったのに対し、

「手軽な美味いもの」を食べるかどうかは、身近な人との関係にもある程度影響を受ける。

たとえば、お土産として頂いたお菓子を食べないのは失礼だろう。

だから、「完全に食べない」というのは難しいし、目指さない方がいい。

自分一人の時は食べない。このラインを守る。

「完全に断つ」よりも「たまに食べる」方が難しい。味を覚えてしまうから。

しかし、難しいからこそやりがいもあるだろう。

 

昔読んだ「陽明学」の本に、

山にこもるなどして俗世から離れて取り組む修行より、

厳しい俗世の中で自分を鍛えていくほうが、修行としては望ましいと書かれていた(と記憶している)。

付き合いの過程で食べざるをえない「手軽な美味いもの」や、あちこちで目にする「手軽な美味いもの」の広告、

これらは俗世において自分を鍛えてくれる「意志力の筋トレマシン」だと見なそう。

 

新約聖書』の記述によると、イエスは、人々に教えを広める前、「悪魔に誘惑される」という試練を受けた。

聖書のこの記述は、「人物を完成させるには、誘惑に勝つことが必要である」という人類の経験知と読むこともできそうだ。

悪魔の試練に比べれば、人間が作った誘惑など何でもない。