新婚野郎のカムバック禁欲録

新婚のアラサー男が、かつて取り組んでいたオナ禁に『再挑戦』しながら、収入アップに取り組んでいくブログです。

辛さを「悲劇」でなく「喜劇」で捉えたい

 

読書は好きですが、「喜劇」の類を読んだことがありません。

しかし、今の自分に必要なのは、まさに「喜劇的な認識」だなぁ、と感じています。

 

昔から気が滅入りやすい性格で、嫌なことがあると、生活に支障が出るほど落ち込んでしまいます。

僕の場合、親との関係が問題になることが多いです。

ところで、人間は世界をあるがままではなく、「意味付け」を施した上で理解しています。

同じ出来事でも、その上にある「意味付け」が異なれば、まったく違う受け止め方になります。

ですから、辛い出来事をそのまま「辛い」と受け取るのではなく、「喜劇的な意味付け」を施すことによって、笑い話に変えてしまえばいいのではないか。

そうすれば、辛さは残るにしても、だいぶマシになるはずです。

 

過去の人生では、もっぱら「悲劇的な世界観」を受け入れていました。好きな小説家は芥川と太宰です、みたいな。

しかし、自分のやりたいこと、なすべきだと感じることを前に、いちいち落ち込んでいる暇はない。悲劇的な認識は、今の自分にとって実用的とは言えない。

時間を無駄にしないためにも、「喜劇的な世界観」を自分の内側に取り込んでおいた方がよさそうです。

 

追記:「意味付け」を変えるアプローチの2類型について

「意味付け」を変えるためには、

  1. ロジック
  2. トーリー

の2つの方法があると思います。

 

「ロジック」による方法は、論理的な考察によって「今の自分の考え方は合理的でなく、有害である」と認識し、納得し、受け入れるやり方です。

たとえば、『7つの習慣』における「影響の輪・関心の輪」の枠組み。自分の力が及ばない部分について思い悩んでも無意味である、ということが「頭で」わかります。

あるいは、アドラー心理学や、エリスのABC理論も、内容は異なりますが、「ロジック」によるアプローチだという点においては同じものと見なせるでしょう。

 

「ロジック」だけでも十分に効果的なのですが、しかし、抱えている問題が根深いほど、「頭」ではわかっても「心」ではわからない(わかりたくない)ということがあります。

 

こんな時に有用なのが「ストーリー」による方法です。

人間の脳には、ストーリーの形になった物事は理解しやすく、記憶しやすく、さらには受け入れやすくなる、という性質があるようです。

それゆえ、古来、知恵や教訓はストーリーとして、すなわち詩や物語として語られてきたのでしょう。

ですから、深刻な問題を笑い話として描いたストーリー、つまり「喜劇」を読めばいい。

 

僕の問題に引きつけて考えるならば、

「親は自分とは別の人間であり、親の考えは親自身のもので、それを変えることはできない」

というのが「ロジック」による理解です。

確かにその通りなのですが、だからと言って、ただちに親を受け入れることはできません。

「あの野郎なんでわかんねえんだ」という気持ちは、すぐには消えてくれません。

 

そこで、「ストーリー」の活用を考えます。

「わかりあえない親子を喜劇的に描いたストーリー」

が、かつて世界のどこかで語られているはずです。

それを発見して読み、その中に現れている「喜劇的な認識」でもって、自らの親子関係を捉え返す。

そうして、自分の抱える辛さを「笑い話」に変え、無力化する。

 

この試みがうまくいくといいのですが。